ご本願を味わう 第十八願

至心信楽の願

【浄土真宗の教え】
漢文
設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚唯除五逆誹謗正法
浄土真宗聖典(注釈版)
 たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。
現代語版
 わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。
(ただ:底本延書には「ただし」とある。 誹謗正法:仏の正しい教法をそしること)

 世尊よ。もしも、わたくしが覚りを得た後に、無量・無数の仏国土にいる生ける者どもが、わたくしの名を聞き、その仏国土に生まれたいという心をおこし、いろいろな善根がそのために熟するようにふり向けたとして、そのかれらが、――無間業の罪を犯した者どもと、正法(正しい教え)を誹謗するという(煩悩の)障碍に蔽われている者どもを除いて――たとえ、心をおこすことが十返に過ぎなかったとしても、〔それによって〕その仏国土に生まれないようなことがあるようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。

『無量寿経』(梵文和訳)/岩波文庫 より
(後半部が漢文第十八願に相当)

 私の目覚めた眼の世界では、誰でも、素直な心となり(至心)、私の世界を信じ喜び(信楽)、私の国に生まれようと願う(欲生)三つのまことの心が与えられ、南無阿弥陀仏と称えずにはいられなくなるであろう。もしそれでも私の国に生まれることができなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。このことはただひとえに、親を殺すような非人間的な生活、目覚めた人に背を向けるような非人間的な精神では、本当に人として生まれた喜びを味わえないことを、はっきりさせるためなのだ。

『現代語訳 大無量寿経』高松信英訳/法蔵館 より

 諸師がたの味わい

法然上人では、選びとられたものは念仏ですが、選び捨てられたものは、諸善万行といわれる自力の行です。親鸞聖人では、選び取られたものは、限りなく真実を求めてゆく、主体的な自己自身であり、真実の菩提心です。選び捨てられたものは、たんに自力の行だけではなく、財産とか名誉とか、煩悩や我執、不純な信仰や念仏、不純な道徳や宗教、真実でないすべてのものです。
<中略>
 親鸞聖人が第十八願に転入されたのは、越後に流罪になって、そこで名を「親鸞」と改められました。改名された時は、いつも大きな心境の変化があった時ですから、恐らくその時点であろうと思っています。それは流罪という苦しい現実に遇って、今までの法然上人の京都時代の、有難い勿体ないという、法悦の念仏が打ち砕かれたのでしょう。それによって改めて仏法を聞き直さねばおれぬことになり、そこで改めて曇鸞大師の『論註』を読み直して、初めて天親菩薩の『浄土論』に遇われたのでしょう。そのことを「天親菩薩のみことをも、鸞師説き述べたまわずば、他力広大威徳の、心行いかでかさとらまし」と讃えておられます。「親鸞」という名も、そのことを現わしているのでしょう。また法然上人が要らぬといわれた菩提心こそ、第十八願の信心であると見開かれたのは、天親菩薩によってであります。また法然上人が捨てられた学問を拾って来て、膨大な哲学書である『教行信証』を著わされたのは、曇鸞大師の教えによるものです。親鸞聖人は、天親・曇鸞に遇うことによって、失っていた自己を取り戻し、それによって初めて法然・善導を超えることができたのです。
<中略>
・・・三願転入の順序が、本願の順序と違うことです。転入は第十九、第二十、第十八と、後戻るのですが、本願では第十八、第十九、第二十と、直線的に進行方向に並べられています。虚心に本願の文を見ると、それは転入の三願というよりは、むしろ展開の三願のように思われるのです。三願転入は、不純な信が次第に深められて、純粋になってゆく、迷いからさとりへという方向ですが、これは信の有っている半面の働きです。信は内に向かって、限りなく自己そのものを純化してゆくと同時に、「信は道の元、功徳の母」といわれているように、信の内に有っている徳を、外に向って形をとって、現実に具体化する働きを有つものです。三願転入は信心の問題ですが、三願展開は生活の問題です。四十八願ではむしろ三願展開の問題が重要とされているようです。
 それでは親鸞聖人には、三願展開の思想はなかったかと申しますと、三願展開という言葉はありませんが、そういう思想は有っておられたように思います。今引きました「信は道の元、功徳の母」という『華厳経』の言葉に目を著けられたり、信心獲得の獲得を「因位の時うるを獲という。果位の時に至ってうるを得という」と註釈しておられますが、これは心に獲ることと、身に即くことで、哲学用語でいえば、自覚と自己形成に当るのでしょう。自己形成の思想はあったことはあったと思いますが、あの時代ですから、まだはっきりしたものではなかったのではないでしょうか。あの時代ばかりではありません、これは日本仏教の伝統のようです。今日でもほとんどの学者が、自覚で止まっています。私は自己形成を説く人に会ったことがありません。東大の有名な教授でしたが、仏とはどういうものかという、仏の定義を「自覚覚他、覚行円満」といわれています。その覚行を、自覚に至るまでに永い修行が要る。また他をさとらしめるにも、永い間の修行が要る、それを覚行というといっています。この覚行は、自覚のあとの自己形成のことなんです。
<中略>
 この転入と展開、自覚と自己形成は、人間が人間として成就してゆくためには、重大な二つの要素ですから、そういう人間を成就してゆくという、ここにいるこの私の救いという角度から、改めて四十八願を見てゆきたいと思います。
<中略>
・・・存覚上人が、親鸞聖人が衆生のことを「群萌」と仰ったのは、私たちは法の潤いを受ければ、必ず仏道の芽を生ずるからであるといっておられます。このことは迷うという事実を見ても解るでしょう。
<中略>
 親鸞聖人は、それまでこれを「至心に信楽して我が国に生まれんと欲え」と、一連の言葉として読んでおられたのを、至心と信楽と欲生心と、三つの心を領解して、これを「浄土の菩提心」と読んでおられます。・・・小乗仏教は「そこから」の解脱でありますが、大乗仏教は人間であることの自覚です。それに対して浄土教は、仏教に違いありませんが、自分からさとるのではなく、浄土からの呼びさましによる菩提心だと思っています。
<中略>
 至心は真実心に違いありませんが、まだその内に不純なものをはらんでいて、その在り方は理想主義から抜けきれません。理想主義というのは、その描いている理想は、現実を否定内容とした現実の投影で、夢であり、その眼は常にかなたをにらんでいて、足もとは「やせ馬の尻を叩く」奮闘努力型です。したがっていつも緊張していなければなりませんが、それは生き方に無理があるからです。仏教ではこれを自力というのです。しかし至心そのものは矛盾をはらんでいて不純ですが、この心は仏性の開発に重要な役割を持っているのです。そこでこの至心のことを引出仏性と呼んでいるのです。 それは至心は仏性には違いないが、まだ純粋な仏性ではない。我執の殻をかむっている。その殻を破って中の仏性を開花させる、仏性を引き出す仏性であるというのです。私は仏性とか如来とか、本願とか浄土といわれるものは、魂の地下水だと思っています。地下水は地球のどこにも行き渡っていますが、そのままでは自分のものになりません。「わが魂の底深く名告り続けるみ仏の久遠の」四十八願の願いを開発する作業が、聞法であり求道です。・・・至心は地下水の信楽を働き出させる大切な役割を有っているのです。
<中略>
 後悔は起こった意識の波に眼がついているのですが、慚愧はその根底の性格に目がついた段階です。「思うも思わざるもこれ妄念、造るも造らざるもこれ罪のかたまり」。思うたから悪いのでもなく、思わぬから善いのでもない。したからせんからではなく、その根本の性格そのものの悪に対する慚愧です。
 ところが懺悔は性格をもっと深めて、その由って来たる根源の、無始よりこのかたの宿業に眼がついたことです。一般には悪の行為に対する反省を懺悔といっていますが、それは意味が転化したので、仏教本来の意味ではありません。
<中略>
 信心は一般に信仰と同じ意味に使われて、神信心などといわれていますが、信心の「心」は主体性を意味する字です。よく心はころころが詰まってこころになったのだといわれていますが、あれは「意」のことです。信心は今では「もう一人の自分」とか、根源的主体といわれています。性根のない私に性根が生まれたことです。「この世は」何しに来たところ。「自分を探しに来たところ」と、陶芸家の河井寛次郎先生もいっておられましょう。お釈迦さまの最後の遺誡が、「自灯明・法灯明」ですが、その本当の我れが生まれたことを信心というのです。今日ではそれを主体性の確立といっています。
 聖徳太子は、深い心といわれる信は、自己の中に矛盾を見出す心といっておられます。信は真心ですから、自分で信じようとして信じられるものではなく、気がついて見れば、今までなかった新しい深い心が生まれているのです。そうなろうと思うて、そうなるのではなく、気がついて見るとそうなっている心です。それを親鸞聖人が「廻向の信」といわれたのではないでしょうか。これは信ずるという、こちらから働きかける信ではなく、疑いないという、向こうからこちらへ働きかけてくる信だともいっておられます。
<中略>
・・・信は衆生の任かすか任かさぬかというような、決断によるのではなく、はっと気がついて見れば、今までなかった新しい深い心が開けているのです。仏の方が先手です。ここにもそのさとりがじっと待っている静的な涅槃か、われわれに直接働きかけてくる動的な浄土かの違いが現れているのだと思います。
 それでは信楽はどこに立って開ける心か。親鸞聖人は本願を信ずるといっておられますが、私はそれは至心が自己のめざめなら、信楽は歴史的自覚であろうと思っています。・・・信楽は血の中に宿っている四十八の功徳を現実に具体化して、自己を成就し、自己の浄土を建設することです。それがそのまま弥陀の浄土を荘厳することになるのです。
<中略>
浄土教は、自分が置かれている場所から呼びさまされるという、場所的自覚がはっきりしています。仏教ではそれを、蓮台が菩薩を育てるといっています。浄土に生まれると蓮台に坐る。蓮の座が与えられる。蓮台に坐った菩薩は、生まれたままで、何も知らない。蓮の花びらから光が出て、上に坐っている菩薩を育てると、象徴的にそれを説いています。
<中略>
 至心は自己の真実の在り方を求める心ですが、まだ即自的で、自己が何ものか、自己の置かれている場所が自覚されていません。それが信楽になりますと、自己が場所的に自覚されて、わしは人間である。先祖によって産み出され、先祖の歴史を背負い、人間として深い願いを血の中に宿している自分であると、自己が置かれている歴史的世界が見えてきます。また欲生心はさらに、全人類がそこに置かれている運命共同体としての世界が、自己の内に自覚され、世界が自己を呼びさますという形で、菩提心が働いてくるのです。
<中略>
 至心から信楽への脱皮は「二河白道のたとえ」にあるように、自己の内にあって、自己を裏切る煩悩とか、あるいは性格とかが問題となっています。自己が問題となって、自己の内にある自己に背くものが、脱皮の媒介となります。また信楽から欲生へは、また改めて客観的な相手とか環境社会が媒介となってです。それは初めの本能から至心への脱皮の媒介と材料は同じですが、捉え方が、本能の場合は対立的に、それらを自己と切り離して見ているのですが、信楽の場合は、自己がそこに置かれている場所としてですから、どうしても自己を超え、社会を超えた立場、つまり浄土が生れてこなければ救われぬ道理です。・・・・・ もちろん努力せずに自然にそうなるのではないですよ。努力せねばなりませんが、努力したことによって直接進化するのでなく、それが縁となって、内から新しい心が生まれてくるのです。
<中略>
 さっき申しましたことをまとめて申しますと、人間は自覚存在といわれているように、至心の心の起こった、そこから人間は始まるのですが、至心の心は、自分のした行為の反省によって、自分と自分の生きている環境を知って行くのですが、それは試行錯誤によるのです。それを仏教では後悔といっています。
至心がさらに進化すると、した行為を通して自分の性格が解り、起こった現象において、ものの原理とか法則を知ってゆくようになる。また自分の習慣とか、社会の慣習などの行為的世界をです。これを自己反省の立場から慚愧といっています。それらを自己を苦しめ悩ますもの、自己を束縛するものとして、それを自己に対するものとして見れば、第二反抗期の心で、自殺か革命か、どちらかに走るのでしょうが、それを人間としての共通の運命、人間であることの宿命、人間の歴史的宿命、もっと深い所に地上の宿命、それらを自己の生きている場所として捉える。外の言葉でいえば、我執と愚かによって動かされ、形成されてきた行為的世界が見えてくる。この世の宿命が見えてくる。これを懺悔といい、この心はすでに至心を超えて、深い心といわれる信楽に転入しているのです。
それらがさらに信楽によって見出された浄土を、この五濁の世に、また自分の世界に、浄土を実現しようとする願いが発こってくる。これを欲生心というのです。
<中略>
 この「乃至十念」も、今日まではお西もお東も皆、十声の念仏と解釈しているのですが、これは信心の相続してゆく相を誓っているのです。私が中央仏教学院の高等科に入学して間もない頃でしたが、「宗義要論」の時間に、この乃至十念について、先生に質問したことがあります。これは至心信楽欲生を一念と見て、乃至十念は、十は満数で、その一念が一生相続して行く相を誓われたもののように思われるのですが、どうでしょうかと、お尋ねしたら、その先生は龍谷大学の教授でしたが、真っ赤な顔をして、いきなり大きな声で、「相承にない」と叱りつけられました。それから二十年のちに、加藤仏眼という龍大の教授が、梵語から乃至十念は、称名のことではなく、信心の相続することという論文をかいて、博士論文か学階論文か忘れましたが、パスしたのですが、真宗学者は未だに、その垢のついた伝統とか相承という掟を守って、十声の称名といっています。
<中略>
 親鸞聖人に「即得往生」と「便得往生」という思想があります。即も便もどちらもすなわちと訓みますが、即は即時のことですが、便は時間をかけて、徐々にという意味です。また親鸞聖人は仏教を超と出に分けて、超は頓みにさとる道、出は漸々にさとる道といっておられます。これは智慧を以てさとる教えが頓教で、修行によって身につける教えを漸教というのでしょう。これはさっきの了因と生因のことです。了因は智慧の眼を開くことによって、頓にさとることであり、生因は日常の行為を通して、血の中に宿っている功徳を、花と咲かせて身につけてゆくことです。したがって浄土に生まれるという中に、信楽の智慧によっては、即の時に往生し、これは精神的往生です。生活を通して身に即くのは、徐々であって、これは身体的往生です。これを二度の往生といいます。これは仏教一般も皆こういうことを説いています。華厳ではこれを「円融と行布」といい、天台では「六即位次」といっています。親鸞聖人は、「因位の時の名を名といい、果位の時の名を号という」とか、また「因位の時うるを獲といい、果位に至ってうるを得という」と、そのことをいい現わしておられます。・・・解りやすくいえば、「心にうるを獲といい、身につくを得という」ということです。何の取り柄もないと思っていた私が、「不可称不可説不可思議の功徳」が身に宿っていたわいと、自覚することが因位の獲です。その功徳が行為を通して、徐々に身につくそれが果位の得です。
<中略>
 至心信楽欲生の菩提心が発こった人が、自己の中に自己を裏切り、自己に背く心を見出だした。それが逆謗闡提と現わされたのではないかと思います。それは性根が生まれた人が、自分は性根なしじゃと悲しむように、菩提心が自己の中に、本気にならん、徒らに明かし徒に暮らして、けろんとしているそれは、逆謗闡提といわずにおれぬ心でしょう。親からかけられている願いを踏みつけ、法を聞こうともしない、性根なし、それが親を殺し、法を謗って姿ではないですか。親鸞聖人は自己自身に対して「難治の三病、難化の三機」と泣かれたのでありましょう。

島田幸昭著『仏教開眼 四十八願』 より

 一般的に最も得意とするものを十八番といいます。十番でも十五番でもいいように思いますが、なぜ十八番かということになりますと、この第十八の願に関係しているようです。
 第十八の願は、四十八の願の中でも、最も大切な願です。
<中略>
阿弥陀如来の大慈悲の対象は、こういう人に限るとか、こういうものだけという限定はありません。そこには国の違いも、民族の違いも、言葉の違いも、性別も、いかなる違いも問題にはなりません。  また、そのような悩みは、そのような問題はという、悩みや問題によって選別されることもありません。色々の悩みをもち、それぞれの問題をかかえているあらゆる世界の、生命あるすべてのものが、阿弥陀如来の「どんなことがあっても見捨てることができない」という本願の目当てなのです。
<中略>
あやまちをおかさないように、他人から白い目でみられないように、冷たい言葉をあびせないようにと気をつけ、努力していながらも気づいてみると、その逆の道を歩んでいる私たちを、如来は「見捨てることができない」と誓ってくださるのです。
 決して、如来は、何をしでかそうが、「よしよし」と許して救ってくださるのではないのです。許せないようなことばかりするものをほっておけないと、救いの手をさしのべてくださるのです。
 許して救うのではなく、許せないから、救わずにはおれないというところに、如来の変ることのない真実があります。
<中略>
 長年、阿弥陀如来の本願の真実を聞いても、この「自分」だけは信用できるという思いから抜け出すことは容易ではありません。ですから、阿弥陀如来の本願を聞きながら、いざとなると「自分が」という思いが頭をもたげてきます。そこに、どうしても阿弥陀如来の本願一つにまかすという「一心」になれず、本願をたよりにするが、自分もたよりにせずにはいられないという「二心」になってしまうのです。
 この最後まで残る「自分が」という思いが「自力の執心」なのです。本願を聞く求道者にとって、最後にして最大の難関がこの「自力の執心」であります。
<中略>
「深く信じて」とは、「信じた方が得だから信じる」・「よくわからないが信じた方が楽だから信じる」というようなうわついた「浅い信」ではないのです。どこまでいっても、「自分が」と自らをふりまわさずにはおれない私たちのことを見抜いた上で、「私にまかせよ」といってくださる阿弥陀如来の本願に、唯、専ら、まかす以外にないと決した相であります。
 それは疑えといっても疑いようのなくなったよろこびなのです。このような相・よろこびを「信楽」というのです。
<中略>
 沢山称えることのできる人は沢山称えればいいのです。一遍しか称えられない人は一遍でもいいから、「南無阿弥陀仏」と如来の誓の名号を称えなさいと勧めてくださるお心が「乃至十念」ということなのです。
 迷う前に称えるのもいいでしょう。迷いはじめてから称えるのもいいでしょう。迷ったあとから称えてもいいでしょう。どの時点でもいいから「南無阿弥陀仏」と如来の誓の名号を称えなさいと勧めてくださるお心が「乃至十念」ということなのです。
<中略>
なぜ、世の多くの親は、子どもが嫌がるのを承知の上で、口やかましくいうのでしょう。それは、子どものことを真底案じているらにほかなりません。
 本当に子どもがどうなってもいいのなら、見て見ぬふりをしてすますでしょう。見て見ぬふりができないところに親の愛があるのです。それはただ、子どもを見捨てることができないという思い一つであります。
 「十方衆生」の呼びかけを、まだ他人事のように聞いているような私たちのために、わざわざ「ただし書」をつけて「五逆の罪を犯したり、正法を謗ったりするお前をほっておくことができない」と、名指ししてくださるのが、第十八の願の「ただし書」のお言葉であります。

藤田徹文著『人となれ 佛となれ』 より

第十八願の本願成就文というのがあります。

あらゆる衆生その名号をききて、信心歓喜し、乃至一念せん、至心回向したまへり。かのくにに生れんと願ずれば、すなはち往生をえ、不退転に住す。ただし五逆と誹謗正法とをば除く。(四〇)※

 その名号というのは、前の十七願の名号を指すと昔からいわれております。十七願は諸仏称名の願であって、諸仏に讃められ称えられようという御本願であります。それはどういうことかといったら、我が名によって助けようという御本願でありますから、正信偈には「重誓名声聞十方」と仰せられて、「重ねて誓うらくは名声十方に聞えん」と、我が名を十方に聞かしめてそれによって助けようということです。だから一声でも南無阿弥陀仏と聞いたら我が助かる道があると知るべきであり、助けたまう親様があると知るべきであります。これは全く他力の救済の御本願であります。親鸞聖人はこの願成就の文というものによって、本願のおこころを知られたのであります。
<中略>
この本願を見ていると自分が起こして行かねばならんように見えるけれども、やってみたけれども親鸞聖人はできぬと知られて、「至心に廻向したまへり」とある通り、これは如来よりの至心廻向によると知られたのです。これは他の浄土宗では、至心に廻向してと読んでおられるそうでありますが、親鸞聖人は「至心に廻向しためへり」と訓点を付けかえられました。・・・至心に回向したまい、この三信を与えたいがために一心を御廻向下さるのであり、帰命する心をどんなにでもして起こさせようとしておられるのが如来の御心であるということです。
<中略>
 真実信心の行人は現在において摂取不捨の身の上になる、これが助かるということであり、それが往生すということである。弥陀釈迦二尊の御心を見ておるというと、即得往生といっておられるのは、死んでからと思うなということです。「正定聚の位に定まるを不退転に住すとのたまふなり」親鸞聖人は皆現生不退、現生正定聚と申されているのであります。それでなければ本当に有難いとも助かったとも言えぬのであります。真宗よりほかの浄土門では、死んでから極楽へ参って、それからぽちぽちいろんな御説教を聞いて、聾桟敷から本桟敷へ出てそれから段々進んでいくのだというように言ったり思っておる人がございます。けれども、親鸞聖人や蓮如上人は現生不退といわれます。退転もしなければ横へもころばぬし、後ろへもころばぬと、それゆえ向うへ行くより仕方がない。この現生不退ということが親鸞聖人の喜びであります。それが本当の宗教というものだと思います。
<中略>
五逆のつみびとをきらい、好きじゃないのであります。しかるに、何ぼ幸福なものでも安楽なものでも、そういう五逆をしておる自分であります。それをきろうておられるのです。なおそれ以上に重い罪は、法を謗ること、謗法のおもきとがを知らせんとなり、非常に重いとがをもって助からない自分であるということを知ってこそ、十方衆生を救わんとの本願を信ずる心が起こるのであり、又助かるのであります。だからこの唯除五逆誹謗正法といわれたことは、いくら悪いことをしても助けて下さるのだというように思っては大変だから、それを防ぐためにお知らせ下さったのであります。

蜂屋賢喜代著『四十八願講話』 より

(※注 四〇 =浄土真宗聖典註釈版 P41『仏説無量寿経』 巻下 正宗分 衆生往生因)

 阿弥陀如来が法蔵菩薩となられた、それは「設我得仏、十方衆生」という願文において直感されることであります。それは設我得仏の願において、十方衆生を見出されたことを顕わすものであります。そこに十方衆生がいる。迷える衆生がいるということは、もう仏をして仏であるということに安んじさせないのであります。そこで衆生の心とわが心とを一つにし、衆生の運命とわが運命とを一つにせんとする菩薩として出現されることになったのであります。したがってこの第十八願の言葉は、当面は衆生に対して発せられているが、その願の声を聞くものは衆生であるとともに法蔵菩薩でなければなりません。
<中略>
 それでこの本願の文は、卒爾にこれを見れば、いかにも衆生の心において至心信楽欲生の心をおこすべきものであって、そこには如来の至心信楽欲生というような意味がないように思われます。しかるに親鸞聖人では、この至心信楽欲生をもって如来の三心とされました。『教行信証』の「信の巻」は、正しくこの三心が如来廻向のものであることを開顕せんがために作られたものであります。そこには至心をもって如来の真実心となし、信楽をもって如来の大悲心となし、欲生をもって如来の廻向心とされてあります。されば三心ことごとくこれ如来利他廻向の心であって、凡夫自力の心ではないのであります。それゆえに十方衆生に対して、「至心に信楽して我が国に生まれんと欲えよ」とおおせられるのは、その本願の御言においえ、如来の三心を衆生に賜わるのであります。すなわちこの至心信楽欲生我国の御言において、如来御自身の真実大悲廻向の心を表現されるのであります。
<中略>
 御身において光寿無量である如来は、十方衆生を見い出された。それは大悲の御胸において永遠に捨離することのできないものである。したがっていかようにもしてその衆生を救済しようということが、如来の願いとなったのであります。願いといえばまことにそれこそ真実の願いであります。それでその願いを衆生に対して表現されるのであります。もちろん経文から申しますならば、法蔵菩薩の願いは世自在王仏の前で建言しておられるのであります。しかしこの本願の文を見れば、仏の願意が衆生に対しておられることはあきらかであります。その衆生に対してのお言葉は、衆生に要求するという形で御自身の真実心を現わしておられるのであります。
<中略>
 この願の乃至十念の称名は、先の第十七願に諸仏称名としては願われてあるということであります。この一事をもって念仏は「大行」であるということを顕わすに十分なものでありましょう。大行とはいわば「公の行」ともいうべきものであります。諸仏によって咨嗟され、諸仏によって勧信された行であるがゆえに、それは正しく弥陀の願によって、衆生の行として廻向されたものでなければなりません。第十九願の修諸功徳は、元来これが凡夫自力の行であるがゆえに、如来はとくに諸仏の勧励を要求されなかったのであります。第二十願の植諸徳本のごときは、かえって諸仏称名の真意に徹せずして、凡夫自力の心にとらわれているものであります。されば第十九の願・第二十の願の三心が凡夫自力の心であるにもかかわらず、第十八願の三心のみが如来利他の心であるゆえんは、この願の行である念仏が「諸仏称名の願」より出るものであるからであります。信といっても行についてあるものであるから、廻向の行についての信は、信もまた廻向のものでなければなりません。ここに善導は「就行立信」といい、親鸞は三心の体を求めて、名号に帰せられたゆえんがあるのです。
 このことについて意をとどめるべきことは、この十八願には、何ら特別のものがないということであります。「至心に信楽して我が国に生れんと欲うて乃至十念せん」という御言を、何遍繰り返してみても、何ら特別のことは衆生に向って要求されていません。それはまことに衆生界一般に対しての願いであります。これに対すれば、第十九願の修諸功徳というようなことは、特殊の修道者というものに対しての願いであるということが顕われています。それはけっして衆生一般に要求されることではありません。・・・・・ その真実報土とはすなわち光寿無量の世界であります。如来の悲願成就の世界であります。この世界は恢廓広大にして何人をも拒まない境地であります。それゆえにそこは、修諸功徳というような特殊の行でいくべきことろではなくして、ただ如来廻向の念仏によってのみ生れしめられるのであります。この点に着眼すれば、この第十八願には何ら特殊の心行が要求されていないということが、もっておの心行ともに如来回向のものであるということを直感せしめるものでなければなりません。
<中略>
 もしこの抑止の文(ただ五逆と誹謗正法とをば除く)がなければ、われわれはともすれば、自分は如来の本願によって、浄土に往生する資格のある者と思うことでありましょう。さればその資格とは何であるか、すなわち「至心に信楽して我が国に生れんと欲して乃至十念せよ」の御言に応ずることである。そうすればその三心十念というのは、自然、凡夫自力の発起するものと思われることとなるのであります。これに反して真に自身の力をもって往生する資格のないことを知る者の胸には、三心十念の御言は、ただ切実なる大悲の声として響きくるのみであります。

金子大榮著『四十八願講義』 より

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